大賞
「Carpet Collection」 はぅ君
この作品は、カーペットの柄のような模様を生成するアルゴリズムによって構築されています。 様々な大きさで生成されたカーペット模様が、画面いっぱいに敷き詰められて次々と表示されていく作品となっています。
各カーペットの模様は、3つの枠とメダリオン(中央の装飾)で構成され、それらは単一のアルゴリズム(座標に対してのビット演算と剰余の組み合わせ)によって生成されます。 このアルゴリズムに、座標の周期の倍率や全体のゆがみ率などの多くのパラメーターをランダムに与えることで無限のパターンを生みだしています。 また各ピクセルの赤・緑・青の各色要素に対して異なる剰余のパラメーターを適用することで多彩な模様が織りなすカーペットを生成しています。
ピクセル操作を用いた表現を探求していた際、ビット演算と剰余の組み合わせによって面白いパターン模様が出来上がることが分かったため、パラメーターやアルゴリズムを調整してカーペット柄のような模様が出るように試行錯誤して作品に仕上げました。
本作はディスプレイ領域に織りのパターンを敷き詰める壮大な作品である。高解像度のディスプレイで画面を表示したときのピクセルの肌理は圧巻だ。矩形の中のパターンが一つのコード・アートとすると、そのバリエーションがいくつも展開され画面に敷き詰められる様は、GenerativeArtのありようを示唆しており、そうしたジャンル特性、可能性を鋭く見極めながら制作されたであろうことが想像できる。 描画の根幹となる部分は、ビット演算子と剰余、掛け算という演算子で成り立っていることも示されており、こうした特質はコンピュータの「計算」でできる図像としての美しい成立過程を示している。応募時に添付されたコードに関しても極めて可読性が高く読み手に対する配慮が行き届いている、いわゆるReadableCodeとしての審美をも評価できる。直接的なモチーフである織物についても、コンピュータの成立の過程としてその歴史に的確にアンカリングされる。この作品自体が、ProcessingなどのCreative Codingのツール群によって形成されたコミュニティに対する貢献としての面も読み込めるという点が大賞とした理由だ。(永松歩)
三角関数や剰余、折りたたみなどのシンプルな関数を用いて複雑な模様を生成するアルゴリズム的な美しさと、その多様な出力の図像的な美しさが両方備わった作品と言える。コードを見ると、カーペットたらしめている要素を分析・抽象化しアルゴリズムに落とし込んでいる様子が窺える。ジェネラティブアートの特徴はやはり”生成”であると私は考えるが、本作はそれをシンプルなアルゴリズムの組み合わせとリアルタイム生成で見事に美しく表現しており、大賞に相応しいと言える。(NIINOMI)
どの作品を大賞とすべきかを巡っては多くの議論が交わされた。はぅ君の《Carpet Collection》を最終的に大賞として選んだことについての私なりの理由は、カーペット模様を生成するそのアルゴリズムの持つ技術的・歴史的、あるいはコミュニティ的な強度であると言える。1801年に登場したジャカード織機とそのパンチカードを利用した機構は、コンピュータの歴史上でも重要な発明であり、織物の模様とコンピュータとは深い繋がりがある。ビット演算と剰余の組み合わせという単一のアルゴリズムで様々なカーペット模様を生成する本作品は、ジェネラティブアートのコアにある力強さを存分に示している。それは私の考えではコードの実行によるリアルタイム生成の魅力であり、アルゴリズムが新たなコミュニケーションとミメーシスを促すその伝播力である。(山之辺ハサクィ)
優秀賞
「Generated Rectangles」 Kitasenju Design
北千住デザイン個展「Generated Rectangles」 ジェネラティブアート自体をテーマにした展示で、大きくわけると2つの作品で構成された。
①訪問者によって生成される四角形 Genアートの基盤であるランダム関数やアルゴリズムを、コンピュータや作家でなく、他者に生成してもらうことで、Genアートの典型的な作り方を見直せないか考えた。「乱数と恣意性」「AIと人」「NFTと非NFT」の対比なども探った。
②作家によって生成される四角形 ①で作られたデータを元に、作家がGENアートを再構築する作品。会場で①が更新されると同時に4種のGENアートが自動的に更新される。GENアートの特徴として「変換」があり、データの可視化・写像が容易である。同じデータから4つの表現を作り並列してみせることで、その構造と魅力を示した。
*
①と②は同じ空間で構成され、訪問者はNFT購入をきっかけにそれらに介入ができる。ギャラリー自体をGenアートに見立てて、訪問者のNFT購入がGenアートの入力となり、作家のアルゴリズムによって、それらが空間に反映され期間中移り変わる。Genアートを物理空間に展示する価値も探った。
北千住デザイン『Generated Rectangle』は矩形のみのコンポジションというデザインの根源的な話題を表層として、展示空間内の物理的領域、およびブロックチェーンがあたえる情報空間に配置される情報領域の販売として読み取れる。購入者は、展示内の任意の四角を定義し自分の署名を与えると同時にブロックチェーンにも堅牢に署名が残る。他者が配置した四角を意識しながら自身も特定の四角を描くという行為は、虚無を購入していると言えなくもない、にも関わらず他者との関係やゲーム性をあたえる独特の趣がある。GeneratveArtは往々にしてReitinalである=網膜に帰依する・表層に収斂するといった批判を免れないが、本作は購入というユーザーの関わりもGenArtの射程にとりいれたという意味で、特定のドメインを囲うジャンル的な言葉を拡張していると評価できる。矩形がランダムに配置されているというブルータルな見た目とは裏腹に、鑑賞者はコンセプチュアルアートのマナーの通時的な連なりを見通せる窓にもなっていることにも容易に気づくだろう。(永松歩)
優秀賞
「うまれる,かかわる,またうまれる,」 避雷
本作品はGPUによる並列計算能力を利用し、リアルタイムに大量の人工生命(生命の特性をプログラムで表現したもの)同士のかかわりをシミュレートしたものである。
シミュレータ上の各個体は独自の行動規範と感覚器官をもち、自身の生存の欲求に基づいて群れを成し、他の個体を捕食し、子孫を残す。個体ごとの形状やふるまいは各個体に記録された遺伝子から生成的に決定される。各個体の行動の影響は個体間や個体ー環境間の相互作用を通して拡散し鑑賞者のみならずプログラムの制作者ですら予測できない多様な生態系を創発する。本作品では泡という現実に普遍的に存在する境界面をモチーフに、多重に閉じたシステムからなる複雑な生態系を表現した。
本作品のシミュレーションはリアルタイムに行われており、鑑賞者に一回性のある映像を提供すると同時に鑑賞者による生態系へのインタラクションを可能とする。本作品はインタラクションを通して鑑賞者を個体の一つとして生態系に取り込み、情報化社会における「常に行動の主体であり続けることの緊張」から解放し、心地よい予測不可能性をを感じさせることを企図している。
また、本作品はUnityを用いて開発されているが、各個体のふるまいや遺伝子型からの表現型生成などは主にGPU上で動作するプログラム片(シェーダ)によって設計・表現されている。
本作品は「ICC キッズ・プログラム 2024 キミ( ).コード( ).セカイ( )」のために制作・展示された。
避雷による《うまれる,かかわる,またうまれる,》ではGPUによる並列計算が使われ、大量の人工生命のシミュレーションが行なわれている。その高度な技術力と造形的な表現力、インタラクティブアート(の系譜)としてのクオリティの高さを審査員一同が異論なく高く評価した。多様な形とエフェクトを持つ人工生命たちは、群れを形成し捕食や交配を行う。それらが同時にうごめく様子が類まれな視覚体験を生み出し、観るものを魅了し続ける。さらにその環境に「泡」という境界面のモチーフが導入されたことも特筆すべきであり、そのことによって作品全体が一つの生命体(のシミュレーション)のように立ち現れ、作品自体が新たな局面に進化していくことが予感される。(山之辺ハサクィ)
優秀賞
「Stream」 Adachi Saya
概要 この作品は液体の流れを通じて、自己の思考や感情を探求することを目的とした インタラクティブアートです。部屋に存在する小さな水槽は 体験者の形に合わせてリアルタイムに変化し、 その様子をカメラで撮影、壁面に投影します。 体験者は自発的に何かをするわけではありません。 無意識の内にアートの一部として機能し、 液体の流れを通じて 思考や感情が形を変えるプロセスを擬似的に体感することが出来ます。
--------
作品仕組み 中心の水槽は底面がゴムになっています。ゴムの裏に8×7の合計56台のモーターを設置しています。壁面の前に立った人をkinectを用いてボーンを取得し、その位置に対応するモーターを動かし、底面ゴムを凸させることで、水の流れを制御します。その様子を水槽上部から撮影し、壁面に投影しています。そうすることで壁面の前に立った人にインタラクティブに反応して水が書き分けられるような映像を作成しています。
--------
作品への考え方 デジタル化の流れによって置き換えられたアナログのものは、 アナログの良さを継承したままより良いものになるのでしょうか。 私はデジタルに置き換える際に、 削ぎ落とされるアナログの部分の良さ(またはノイズ)を認識することで、 より良いものを制作することが出来るのでは無いかと考えています。 今回の作品の流体表現も、 流体シュミレーションを用いることで、デジタルのみでも近しい表現が可能と考えています。 しかし、その映像をあえてアナログ側で作成することで、意図しない偶発性やノイズをあえて取り込み、 デジタルとアナログのアウトプットの境界を模索しています。
鑑賞者の目の前に映るのは一見するとシンプルな映像だ。しかし、それは人の動作を元にしてコンピューター制御されたモーターによって流れを変えられた水の動きであり、幾重にも階層化されたプロセスが存在する点が面白い。つまり、この映像は水という有機物と物理のモーター、そしてそれを制御するプログラムによって生成されたリアルタイム映像である。あらゆる要素を総動員したジェネラティブアートの新しい形を見たように感じる。(NIINOMI)
入賞
「水槽」 tompng
生命のゆりかごである海を水槽の中に表現したこの作品は、映像の全てのフレームが実行可能なプログラムコードで構成されています。
作品を鑑賞していると同時にあなたはプログラムコードそのものも鑑賞しているのです。
水槽の中の魚・泡・海藻の部分はプログラムコードが空白文字に置き換わって欠けています。つまり、プログラムコードを破壊することにより美しい生命を描画しています。
しかし、このプログラムコードには自己修復機能が組み込まれており、破壊されたプログラムコードのどれひとつをとってもこの作品の完全なプログラムコードになっています。
生物の細胞の中には遺伝子の全ての情報が記されており、破壊と再生のプロセスで生命が維持されています。この作品もまた、どの瞬間を切り取っても作品の全ての情報が記されており、破壊と再生のプロセスも再現されているのです。
「作品を鑑賞していると同時にあなたはプログラムコードそのものも鑑賞している」。作者によって添えられたこの文章の意味がぼんやりとしかわからないままRubyで書かれたソースコードを見た瞬間、その意味を理解した。ソースコード自体が作品の図像と同じ形をしており、それはターミナルで実行した直後に動き出したのだ。本作は、まさにコード自体がアートであり、自身を再生成し続けているジェネラティブアートである。本アワードの審査において私は、「ジェネラティブアートの新たな可能性を見出せるか」という観点でも審査していったが、本作はその作品形態や作者の経歴など、あらゆる点でまだ見ぬ可能性に気づかせてくれた。(NIINOMI)
入賞
「生活楽譜 - 演奏」 ねじお
2023年10月1日から2024年7月20日までの一週間ごとの歩数を楽譜にしました。わたし自身の歩みです。10月は元気でたくさん出かけていましたが、11月ごろに手足が動かしにくくなる病気になり、数ヵ月はなかなか歩くことができませんでした。今は徐々に回復していますが完治はしておらず、良くなったり悪くなったりの繰り返しです。わたし自身は自分の体調に波を感じていましたが、楽譜に表してみると、平坦なものの中に多少の揺れが見えるだけで、わたしが感じていた日々の大きな起伏も、ただ音の高さ低さの違いのように、日々ごとに色が違うだけなのだと感じました。その後、一旦フラットにした生活を、全体を見渡せる立場から演奏してみました。演奏したものが色のついたものになります。自分の過去の歩みを確かに感じられるものでありながら、後から自分の好きなように波も色も変えられるものになりました。
ねじおの《生活楽譜・演奏》は、歩数というライフログを基にした作品であり、身体性を伴う点が特徴的である。2023年10月1日から2024年7月20日までの一週間ごとの歩数データを「楽譜」として生成し、その様子を俯瞰しつつ、新たに色彩を加えた「演奏」を生み出すという二段階のプロセスを踏んでいる。ねじおは解説文で、病により数ヶ月間歩行が困難だったことを説明しており、その影響が歩数データにも記録されている。本作では、アーティストが自身の身体的状況を振り返りながら、制作を通じて過去の「歩み」を再構築し、新たな創造(「演奏」)へと展開しており、その芸術性が高く評価された。例えば、draw関数内でbreath()と名付けられた関数が5,000回呼ばれていることからも、コードと生活(身体性)を繋げる意図が感じ取れる。本作は、生活を私的・詩的に表現するジェネラティブアートの可能性を示すものだと言えるだろう。(山之辺ハサクィ)
入賞
「DeepSea」荒川 零一
この作品は、JavaScript で書かれた短い詩を、テストという行為を通じて探求する試みです。テストはソフトウェア開発において重要なプロセスであり、コードの実行結果を検証するために様々なツールが開発されています。この作品では JavaScript 用のテストフレームワーク Mocha を組み込み、ブラウザ上でコードのテストを繰り返し行います。
作品の中心には「DeepSea」と名付けたクラスがあります。このクラスは再帰的なコンストラクタを持ち、インスタンス化されると内部変数「mystery」に別のインスタンスを格納します。そのインスタンスはほとんどの場合、同じ「DeepSea」クラスのインスタンスですが、深く深く潜った場合、低い確率で古代魚のインスタンスが格納されることがあります。
私は、このような構造をプログラミング言語の持つ独自の価値と捉えています。視覚化されていなくとも、この構造そのものがジェネラティブアートと呼べるのではないかと考えています。テストフレームワークは、その内部状態を解き明かし、共有する手段を提供します。これは期待と現実のギャップを明らかにし、古代魚がまだ生きているという歴史的な出来事を思い出させます。この作品が、テストとコード作品の関係について考えるきっかけとなることを願います。
荒川零一による『DeepSea』はプログラムの言語特性、文法を土台としてレトリック、詩性に着目した作品だ。コードを読むと、1/600の確率でシーラカンスに出会うという条件判定を最大700回繰り返すといったものであるが、再帰・自己参照という「神秘的な」な構文を用いて完結に記述されていて、試行を繰り返すことを「潜る」、条件をクリアすることを「古代魚の発見」と言い換えている。プログラムの構文自体に含意を含ませること、隠喩としての豊かさを試みることは、プログラムを詩と捉え直す豊かな実践であり、GenArtを振興する目的で懸賞すべき題材の上質な提示であると判断した。 プログラマーが開発時にもちいるテストフレームワークを本来的な用途からたくみに転用し、技術的な検証(デバッグ)という行為自体を作品としたことは本作に際立った独創性を与えている。コードのリテラシーがないと美的な快が伝わないという点は鑑賞者にとって常に高いハードルとなるが、コードによる芸術実践というGenArtとしての前提が用意された本懸賞においては高く評価したい。(永松歩)
入賞
「FSM」 Julian Hespenheide
FSM is a visual grid-system based on autopoiesis, the principle of self-organization through self-reproduction central to cybernetics. At the heart of FSM is a computational mechanism, a finite-state machine (FSM), which generates sequences of visual outputs by activating particular agents and cycling them through varying sets of configurations. The grid-system in FSM is segmented along three axes: horizontal, vertical, and diagonal. This segmentation constitutes the machine’s parametric space. Certain agents and configurations are programmed to appear exclusively in specific grid segments, illustrating a principle of spatial distribution. Similarly, spatial distribution is mirrored by temporal distribution. Specific agents and configurations are set to emerge at predetermined time intervals. This interplay turns FSM in a self-organizing system living on the blockchain. The underlying grid of the animation is responsive. Try to change your window size to get different aspect ratios and grid configurations.
Created using p5.js and GLSL. Julian Hespenheide, 2023 (Original release) - 2024 (Alternate mod with hashes. See also source code)
Finite State Machine(有限状態機械)を意味するJulian Hespenheideの作品《FSM》は、セカンドオーダーサイバネティクスとして位置付けられるオートポイエーシスの原理に基づいて設計された視覚的なグリッドシステムである。本作で作られる形象は、矢印といった記号や数字そして(レトロゲームのような)日本語のカタカナとひらがな等の「テクスト記号」を構成素として作られており、それらが千変万化していく。ローテク嗜好を感じさせる馴染み深いビジュアルが採用されることによって、鑑賞者がそこで実行されているアルゴリズムと向き合うことを容易にしている。本作はfxhashで販売され、詳細な技術解説記事もfxhash上で公開されている。コンセプト面だけでなく、そのビジュアルセンスと背景知識を共有する知的なスタイルも評価された。(山之辺ハサクィ)
参考:
入賞
「泡宇宙 -the bubble universe-」 Yohei Nishitsuji
「DESCRIPTION」 僕たちの宇宙は泡宇宙. マルチバースが無数に重なり合う瞬間,その陽炎に生きるものたち.
この作品では,無数の泡宇宙が生まれては消えていく様子,ひとつの泡宇宙と別の泡宇宙が入れ子になっていく様子を表現しました.
小さなものと大きなものは重なり合い,泡宇宙がフラクタルから溢れ出る表現です.
「TECHNIQUE」 GLSLシェーダーエディタープラットフォームの「https://twigl.app/」で走るコードです.Regulationはgeekest(300es)に対応しており,コードの短縮を図っています.作品の表面的なテーマは泡宇宙とフラクタルについてですが,根底的な問いは別に持っており,それはシミュレーション仮説への探究です.僕たちが感知している世界はプログラミングの中にあり,視認する景色やパターンにはプログラミングで見られる似た特徴があるのではないかと考えています(貝殻,血管,森林,海岸,銀河など).この意味では,いかに短縮したコードでそのような世界を記述できるかが重要であり(冗長的でリッチなプログラミングで実行するよりも,短縮されたもので実現することに意義を見ています),このため短いコード環境を採用しています.球体は波動のパーリンノイズ(ベクトル内積)をとるなりしていますが,透明性やカラーリングと表現目的の一致に注力しました.泡宇宙の構想はバークレーの理論物理学者・野村さんからインスピレーションを得ました(著書 なぜ宇宙は存在するのか).
本作は、フラクタル構造を描画する200字程度のGLSLの記述である。図像として細胞のようなミクロ世界と宇宙的なマクロ世界を同時に読み込めることは、アルゴリズムが持つ意味的な審美が視覚的なものに美的に着地したものと言える。GLSLの距離関数によるフラクタル構造の描画は歴史的にも様々な作例がある。自己参照、自己複製を文法的に表現するフラクタルは、自然物に見られる複雑な形態のシミュレートの可能性を示し、計算機の歴史の中でも特筆される話題であり、制作者はそうした歴史や可能性について高い解像度で自覚的である。 特筆すべきは、極めて短いコードの記述量と、その描画結果の雄弁さのギャップである。SNSのポストにおさめられるほどの高い可搬性となっている。少ないコード量で千変万化の視覚的潜在性をコーディングする競技的な領域はDemosceneとして世界的な文化・コミュニティを形成している。こうした競技性、特定ジャンルの美学実践の高い水準の表象である本作は、GenArtの極めて秀逸な実践として贈賞に相応しい。(永松歩)
入賞
「LatenCompo」 奥山裕大
「LatenCompo」は、AIの学習過程に焦点を当てた作品である。近年の生成AIの発展により、多くのAIアートは奇妙さや面白さに注目しているものが多い一方、本作品ではAIがデータをどのように学び解釈するかに着目した。 AIはデータをベクトルとして表現し、似たデータは似たベクトルに変換される。この性質にを利用し、図形をAIに学習させて三次元ベクトルとして表現し、得られた点に基づき図形を配置することで、AIに立体的な構成をさせられるのでは?と考えた。
具体的には、VAE(変分オートエンコーダ)を使用し、自作の図形データセットを三次元ベクトルとして学習させた。工夫として、図形の類似性を考慮した距離学習を導入し、全データセットを一度にではなく順次見せることで学習過程を不安定にした。これにより、ネットワークがダイナミックに変化することを狙った。 最終的に、配置した図形をレンダリングすることで作品とした。 各画像は学習の進行度に対応し、図形中の球はデータに対応し、図形は自動で配置されている。AIの学習の不安定性により、同じコードでも実行のたびに出力は異なり、ジェネラティブアートの新たな手法の一つの可能性を示すことを目標として、本作品を制作した。
多くのジェネラティブアートの”生成”は作者の設計したアルゴリズムとその自律性によって図像が生成されるが、本作はそのアルゴリズム設計の部分にAIの学習プロセスをほぼそのまま当てはめている点が特徴的だ。作品のプログラムは、AIの学習プロセスの可視化を中心に書かれており、美しい図像を描くための数式はほとんどない。しかし、ブラックボックス化されたAIの学習プロセスの可視化という事実が、この作品の美しさであり、生成という言葉の奥深さを感じさせてくれる作品である。(NIINOMI)